名古屋市役所合気道部のお知らせ(80)
以前の記事に合気道開祖植芝盛平師の師匠が大東流合気柔術の祖武田惣角という人だったという記事を書いたことがありました。私の師匠の岩田先生が恐ろしげな人だったと語ったことも紹介したと思います。
私は、合気道とは術理が違うものの大いに興味を引かれましたので、武田惣角師について書かれた文献をいくつか読みました。その中で特に印象に残っている逸話があります。それは息子で後に大東流宗家を継いだ武田時宗師の言葉として伝わっていたものです。
武田惣角師は非常に気性が荒く短気だったことは多くの証言で明らかですが、彼はやくざとも何度か刃傷沙汰を起こしていたのです。それで、常に抜き身の短刀に手ぬぐいを巻いて懐にいれ持ち歩いていました。もともと小野派一刀流の名手だったのですが、命のやり取りとなれば柔術よりも短刀術だという合理主義者だったわけです。
そんな彼は自宅でも常に身近に短刀を忍ばせ、寝る時にもすぐ手に取れる場所に短刀があったそうです。ある日、寝ている彼を息子の時宗が起こしに行きました。まだ暗かった時間らしく、障子を開けて父惣角に声をかけるやいなや短刀で切りつけられたのです。とっさに身を引いて浅手に済み、大事には至らなかったそうですが、なんとも凄まじい話です。
これと似た話を別の書籍で読んだことがあります。イギリスの特殊空挺部隊(SAS)の将校が自宅でくつろいでいた時に、後ろから幼い娘がそっと近づいて驚かそうとしたところ、彼の身体が反射的に反応してバックブローを放ってしまったのです。娘は打ち所が悪く死亡したそうです。悲劇としか言いようがありません。先ほどの時宗師の逸話も一歩間違えば同じことになっていた可能性があります。
名人達人と呼ばれる武術家は今も昔も結構いるでしょうが、今紹介したような話がごろごろしているかも知れません。「常在戦場」などという額を嬉しそうに飾っている武術マニアがいますが、実態は陰惨なものです。
さて、時宗師による父武田惣角師の最期の話も凄まじいものでした。80代になっていた惣角師はそれでも日々徒歩で合気柔術の教授に出かけていました。ある吹雪の日にも同じように出かけて行ったのですが、あまりに帰りの遅いので心配した家人が迎えに行くと、雪道に突っ伏すように亡くなっていたそうです。こんな死に方こそが武道家らしい最期と言えるのかも知れません。
今回はここまでです。
師範 白井敬二
【7月の稽古予定表】
枇杷島スポーツセンター 第二競技場 午後6時15分〜7時15分
3日、10日、17日、24日(水曜日)
北スポーツセンター 第二競技場 午前10時〜11時30分
7日、14日、21日、28日(すべて日曜日)
*いずれの会場も稽古1回ごとに300円の会費をお支払いいただきます
また、枇杷島スポーツセンターでは、個人使用料200円が別途必要です。
【重要】(入会について)
見学、お試し期間を経て、師範から正式に入会を許可され、入会申込書を提出して、正式な部員になります。まずは見学からどうぞ。入会者は基本的に名古屋市役所職員、家族(子どもは小5くらいから)、OB・OGです。見学希望者は、 師範の白井敬二まで連絡いただければ幸いです。その際には、件名を「合気道」とお書きください。所属と、氏名、電話番号も明記してください。なお、時々返信メールが着信拒否で届かない場合があります。私からの返信メールが届くようにしておいてください。
(メールアドレス)white1000million@gmail.com